【2】就職浪人から抜け出すまで

井口正文、日野市のボロアパートにて

社長のひとりごと【就職について悩んでいる人のために】

振り返ると本当に危なかった…。 ひきこもり同然だった当時の私を思い起こすと今も恐怖すら感じる。 もしあの時、立ち上がってなかったら一生後悔してたかもしれない。 出口の見えない就職浪人のドロ沼から這い上がれたのは、 学生時代の先輩のおかげだったのかもしれない。 その先輩に当時住んでいた日野市のアパートから 「成長したいなら引っ越して来い!」「オレのそばに住め!」 となかば強引に、田園都市線沿線のたまプラーザに引越しをさせられたのだ。

その常軌を逸した命令になぜか納得したのは 「このままじゃ、オレは本当にダメになる」と考えていたからだ。 その後、夜になってからどこで借りてきたのかわからないトラックが 家のとなりに横付けされ、まるで夜逃げのようなテキパキとした引越しが行われた。 ただし敷金礼金含め、サラ金の借金はさらに、 かさんだ…笑

引越してきた横浜市青葉区のたまプラーザについて最初は 「なんだ、この気取ったイケスカナイ街は!」 などと感じていたのだが、 だんだんとその美しい街並みと雰囲気が好きになってきた。 そのうちリハビリ的に近所の不動産屋で土日のみのアルバイトを始め、 徐々に生活のリズムを作っていった。(土日だけか!と今なら思う) 結構、不動産業は私に向いていたのだろう、 楽しんで働いていると、しばらくしてその不動産会社の社長から 「デザイナーなんか儲からないからうちに就職しないか」 という、 かなりわかりやすい口説かれ方をした。 やけにデカいBMWを乗り回す社長を見ていると「確かに儲かりそうだな」とは思ったが 当然、自分の夢を捨てられるはずもなく その申し出に感謝しながらも丁重にお断りした。

先輩をはじめ、 いろんな人々の励ましにいい影響を受けながら、 私は徐々にエンジンがかかり始めた。 クリエイティブ業界専門の就職情報誌の求人に かたっぱしから電話をかけ始めた。(時代的に電話なのだ) こちらが主にチェックしたのはその電話応対だ。給与等の条件はほぼ無視。 そんなのは働き次第でどうにでも変えられると考えていたからだ。 (当時から能力もないのに『根拠のない自信』だけはあったのだ。かなりイタい就職浪人だ) 有名な会社でも電話での感じが悪くて、 面接を辞退したこともある。

選ばれるのでなく 「こちらが就職する会社」を選んでいたのだ。 何なら「このオレを獲った会社は発展するだろうしホントにラッキーだな」ぐらい 思うようになっていたのだ。 (別名 : 立場をわきまえない本格的かつ深刻なバカ 笑) そしてますます、 「よし必ず決める!」と就職活動のエンジンが全開になった…! そんなノリノリの就職活動が順調に進んでいた矢先に、 実家の親父から信じられない電話が鳴る。 父「今すぐにでも田舎に戻って実家の仕事を手伝ってくれ!」 私「えっ何?どうした…?」 私はなぜ今、このタイミングなのかと受話器を握ったまま天を仰いだ…。

【つづく】

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